内藤哲也「辞めます」宣言の1秒前まで新日本辞めるつもりなかった!「面白いかなって」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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内藤哲也「辞めます」宣言の1秒前まで新日本辞めるつもりなかった!「面白いかなって」

■「トランキーロ!あっせんなよ」男が焦っていた時期

 

 プロレスラーとしての第一歩を踏み出した内藤は順調に出世街道を歩んでゆく。2008年10月にはIWGPジュニアタッグ王座を奪取。翌2009年1月4日に初めて東京ドーム大会のリングに立つ。その後、アメリカとメキシコへ海外武者修行に。この時の経験が「プロレスラーとしての原点」と語るほど大きな財産となった。

 2011年には憧れだった棚橋弘至が持つIWGPヘビー級ベルトに挑戦。勝利とならなかったが、棚橋から健闘を讃えられるほどの好勝負を展開し、新日本プロレス期待の星と呼ばれるほどになった。

 順調にいけば「20代でのIWGPヘビー級ベルト戴冠」と、「東京ドームのメインイベントに立つ」はすぐ実現してもおかしくないほどのスピード出世であった。

 しかし、ある男の帰国によって全てが崩れ去ってしまうのだ——その男の名はオカダ・カズチカ(現A .E.W)。

 

▲内藤哲也をあたふたさせた存在、オカダ・カズチカ

 

 内藤の一つ下の後輩だったこの若手レスラーは、アメリカへの海外武者修行期間を経て、内藤以上の存在感を残した。彼が目標にしていたIWGPヘビー級ベルトを一発で奪取。内藤はオカダに挑戦をするも返り討ちにあってしまった。

「あの時、新日本プロレスは最終的に俺が出てくるのを待っている、期待して待ってくれているんだよなとずっと思っていたんです。けど、オカダが凱旋帰国した後、『やっぱり俺じゃないのか』というのと、『完全に抜かれたな』という焦りがありました」

 周りからの期待が消えた内藤は空回りをしていく。2013年に新日本プロレス夏の風物詩である「G1CLIMAX」に初優勝を果たした時のマイクにも現れていた。

「このリングの主役はオレだ」

 そう叫んだ内藤に共感するファンは多くなかった。

「G1優勝したときのマイクも『主役になりたい』というちょっと焦りからくる言葉だったような気がします」

 翌年の東京ドーム大会メインイベントは当初、G1優勝者内藤がチャンピオン・オカダへ挑戦するIWGPヘビー級選手権だったが、後に決まった王者・中邑真輔(現WWE)と挑戦者・棚橋弘至のIWGPインターコンチネンタル選手権がファン投票によってメインイベントとなる。

「当時はものすごくもがいてましたね。でも、俺は過去の自分をあまり否定したくないんですよ。この時の焦りがあったから今があるし、だからこそ『トランキーロ!焦んなよ』と言える自分がいると思ってます。

 あの頃の自分に何か言うとしたら『一生懸命プロレスを頑張れ』くらいですかね」

 失意の中で過ごす内藤哲也に一大転機が訪れる。

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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